「人生を楽しむ」と、初めて決めた瞬間

「何で人間はこの世に生まれてくるの?」
「人間が生きる目的って何?」

私が初めてこういう疑問を抱いたのは、小学生の頃です。
別に自分の人生を悲観してこんなことを考えていたのではありません。

本当に純粋に疑問だったのです。

こういうことを考え出したきっかけは、ある日送られたきた、教育教材の案内資料に入っている漫画冊子でした。

その資料は定期的に勝手に送られてくるもので、「この通信教材で勉強を始めると成績がどんどん伸びるよ!」ということを親だけでなく子供にもアピールできるよう、だいたいいつも20ぺージくらいの漫画冊子もセットになっていました。

で、毎回なんとなく読んでいたのですが、そのときに読んだ漫画は、成績に悩んでいた主人公がこの教材のおかげでテストで良い点を採れるようになり、最終的には学校生活自体が充実するようになった!というストーリーでした。

物語の最後で、その主人公は元気いっぱいにこう言っていました。

「この○○(教材名)のおかげで、毎日が本当に楽しくなった!!」

でも私はこのセリフを読んで、すごく違和感を覚えたんです。
なぜなら、こう思ったからです。

「毎日が本当に楽しくなった!!」って言うけど、自分ひとりが楽しくなっていいのかな?
それじゃダメだよ。
世界全体が楽しくて幸せにならなくっちゃダメだよ!

と。(笑)ホントに変な子供ですよね。

そしてその日から、どうすれば楽しくて幸せな世界になるのかということを考え出しました。

この考察を進めていく過程で、「なぜ万物は存在するのか、そして何の目的で人間は生きるのか」という問いに直面したわけです。

私なりにいろんな仮説を立てては自分の中で論証していこうとするのですが、どんな仮説でも論証の途中で矛盾が起こりました。
もちろん、いろんな大人達にも質問しましたが、的確な答えが返ってこないどころか、「そんなこと考えたこともない」と言う大人までいました(笑)。

いや~、この難問については結構長い期間、本当に悩みに悩み尽くしました。
悩み過ぎて、辛かったくらいです(汗)。

私としては、導き出した万物の存在意義によっては自身の生き方を変えるつもりでいたので、その意義が見つからないということは、自分の在り方も定まらないような気がしたからです。

でもね、ある時ついにこう思いました。

「この問いに対する答えは、もうきっと生きてる間には出てこない。だって、どんな仮説にも必ず矛盾が生じてしまう。
それにもし、矛盾のない仮説を思いつくことができて、自分で論証することができても、目に見える形で「証明」する方法がない。
万が一、生きている間に答えが出るとしても、きっとそれは死ぬ数秒前くらいだろう。」

そして、さらにこう決心しました。

「どうせ何のために生きているのか分からないのであれば、もう考えるのはキッパリ辞めて、ただただ楽しもう!!!
理由はわからないけれど、なぜか生きることができているわけだから、楽しまないともったいない!!!」

このことがきっかけで、私の人生のモットーは「楽しむこと」になりました。

大人になって、そのモットーを忘れてしまっていた時期もありましたが、今はあの頃の自分に立ち返っています。

ただ、小学生だった頃の自分より少しグレードアップしている点は、生きる意味や存在するということの意義は、見えたり聞こえたりするのではなく、内側で「感じる」ことによって理解されるのではないかと思っているところです。

ってか、なんか最近小学生の頃の話が多いな。

まあとにかく、みなさんこの人生・世界・宇宙を、シンプルに、楽しんでいきましょう!

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